未来社会を生きる生徒に学校ができることは何か??

志学舎

1. はじめに

学校の教員・教師・先生は、未来社会を生きる生徒に何ができるのかを常に追求しなければいけません。

私は未来社会を生きる生徒が幸せになることを目標に教育活動を続けています。

今回は、未来社会を生きる生徒に学校ができることは何かについて考えていきましょう。

2. 未来社会を見据えた求められるニーズ

私は先日、ある学校の研修を受けてきたのですが、その学校は「新教育」に力を入れておられる学校です。

新教育とは、従来の詰め込み式の授業・学習方法ではなく、未来社会のニーズを鑑みながら学校教育を行なうというものです。

先日の保護者は学校にどのような教育を求める?!新教育の発展とは??でもご紹介したように、実は国をあげて新教育は進展しています。

現代の学校教育現場では、保護者や生徒からの要望を聞き入れることはもちろんのこと、未来社会で求められる要素を融合させながら教育を行なわなければいけません。

言いかえると未来社会だけ見ていてはいけませんし、保護者や生徒の要望ばかりを反映させる教育ではダメなのです。

例えば保護者は子どもの第一志望校の合格を学校側に要求してきます。

生徒も第一志望校の合格を望むほか、楽しくて眠くならない授業を求めてきます。

それらの要望だけを実現していては未来社会を生きる生徒は幸せにならなくて、教員・教師・先生は未来社会のニーズ(前に踏み出す力や考え抜く力など)や学校のニーズ(問い続ける力や考え続ける力など)を含めた教育を行なわなければいけません。

「知っている」≠「できる」

学校では授業を通じて、生徒に知識・教養を増やしていきますが、単に知識・教養をもっていてもこれらを駆使できなければ宝のもち腐れです。

またたくさんの知識・教養をもっているからといって、それを駆使できるとは限りません。

例えば英単語やイディオムをたくさん知っているからといって、ネイティブと流暢に話すことができるかというとできませんよね。

つまり人は知っていることがたくさんあっても、それを駆使できる(=できる)のではないのです。

スポーツでもそうです。

野球のルールを知っている、バッティングフォームやピッチングフォームを知っていても、自分が実際に野球ができるかというとそうではありません。

つまり生徒にたくさんの知識・教養を詰め込んでも、それを踏まえて思考力・判断力・表現力を育成しなければ何の意味もないのです。

未来社会を生きる生徒のために学校できることの1つとして、生徒が得た知識・教養の本質を追求させる、プレゼンテーションなどを通じて思考力・判断力・表現力を育成させるなど、主体性をもってさまざまな人と協働できる機会を設けることがあげられるでしょう。

未来社会は人が活躍する場はあるのか??

現代ではグローバル社会が進展し、他国人と共存するのが当たり前の時代です。

日本は島国であることから、他国の文化が入ってきつつも、同一性を強く求める傾向にあります。

伝統や同一性は大切なものですが、そこに執着するのではなく、未来を見据えて生きることを考えると、異文化をどんどん受け入れる必要があり、他国人との共存・共生は当たり前のように行なわなければいけません。

日本人は控えめな精神をもっている傾向にありますし、島国がゆえに多言語文化が浸透していません。

つまりグローバル社会から遅れをとっている人種であるといっても過言ではありません。

しかし今の生徒をグローバル社会から置いていきぼりにすることはできませんし、日本人が世界で貢献するためにも、他国人との関わりをどんどん持たせるのは学校の役割でしょう。

それだけではなく、未来社会はAIとの共存はそこまで来ています。

AIの技術が進んでいくと、人の立場・役割・仕事が奪われていく可能性は大いにあります。

しかし現段階ではこれだけは言えます。

AIにはなくて人間にあるもの。

それは感情、コミュニケーション、発想、アイデアを生み出す力、直感、センス、人情です。

AIに仕事が奪われる可能性は予測できますが、これらを駆使した役割は人にしかできないでしょう。

未来社会に生きる人の役割・価値・意義をなくさないためにも、新教育の実践は必要です。

「未来社会で人が活躍する場はあるのか??」というテーマですが、活躍する場がなければそれを考え、作り出す力が求められます。

私が研修を受けた学校は、この新教育を体系化しており、講演された先生も「まだ私自身もモヤ感がある」とおしゃっていましたが、私にとっては十分に刺激のある講演でしたし、私も今週の授業から新教育の実践に取り組んでいきます。

3. まとめ

今回は、未来社会を生きる生徒に学校ができることは何かについて考えていきました。

新教育は「新しい」と付いているように、従来の教育にはなかった教育です。

教員・教師・先生はこれまでの考えを一新させながら教育現場で活動しなければいけません。

活動するためには新教育に対する理解が必要ですが、未来社会を生きる生徒のことを考えると、新教育が必要であることは言うまでもありません。

新教育を導入するために、教員・教師・先生は授業スタイルも従来のままではいけません。

詰め込み式の一方通行の授業は、未来社会を生きる生徒にとってプラスになるものはほとんどないのです。

新しいことに慣れない先生は他校へ転職する可能性もゼロではないでしょう。

人は新しいことをやるときに相当のエネルギーを使います。

新しいことは不透明な分、恐怖もあるでしょう。

新教育を行なっている学校の教員・教師・先生もかなりの労力を使っています。

それほど人が変わるのは簡単ではありません。

しかし教員・教師・先生が変わらなければ学校は変わりませんし、学校が変わらなければ未来社会を生きる生徒を育成することができません。

本当に生徒のためを思うのなら、教員・教師・先生は変われるはず。

今回の記事を参考に、未来社会を生きる生徒に学校は何ができるのかをお考えいただけるきっかけになればと思います。

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