1. はじめに
新型コロナウイルスの影響により、会社企業や学校ではオンラインを活用した活動が大きく普及し、これまでの働き方などが大きく見直されるタイミングになりました。
未来の学校教育もオンライン中心に移り変わることは必至ですが、実際にオンライン中心の学校教育を展開するためにはさまざまな面で革命を起こす必要があります。
オンライン中心の学校教育に移り変わったとしても、アクティブラーニングは導入する必要があるでしょう。
そこで今回は、アクティブラーニングを含めたオンライン中心の学校教育は不可能かについて考えてみましょう。
2. 学校業務はオンラインで完結できるか
学校業務はいくつかの部署に分かれて業務を進めているのが一般的です。
私が経験した部署は、教務部、入試広報部、進路指導部、高校生徒会、総務部などに配属されてきましたが、オンラインで完結できない部署はないように思えます。
ただ入試広報部のように、塾や中学校回りは相手様がオンラインで応対が可能な場合は成立しますが、そうでない場合は直接訪問する必要があるでしょう。
また進路指導部のように、外部の大学や専門学校とのやり取りをする場合も同様のことがいえます。
まとめると、学内の業務はオンラインで十分に完結できますが、外部との関わりを担う業務の場合は、相手先がオンライン対応しているかによって状況が変わるのです。
3. 学校生活や行事はオンラインで完結できるか
新型コロナウイルスのような感染症が拡大したり、台風などの天災等が発生した場合でも、オンラインを活用すれば学校生活や行事を円滑に行なうことができます。
そもそも気象警報については違和感があって、例えば学校では「暴風警報」が発令されてから生徒を帰宅させていますが、これって危険な状況になってから帰宅させているわけで、生徒の命の保証が確保できていないと思うのです。
こんなときこそオンライン設備が確立されているに越したことはありません。
他者と対面でやり取りするときに、多くの方が利用しているのがZoomですが、テレビ局ではZoomではなく日本マイクロソフトSkypeを利用しているように、Zoomを使うときにはこちらで解説した注意点に気をつける必要があります。
ここでは、学校生活や行事はオンラインで完結できるかについて考えてみましょう。
ホームルーム
朝のHRは、生徒の一日の始まりとして重要なもの。
生徒の表情、顔色、しぐさ…、色々な面で生徒の様子を知ることができます。
決められた時間にオンライン上でホームルームを始めることで生徒の様子を確認することが可能ですし、様子に違和感があった場合は、個別に声掛けすることも可能でしょう。
ホームルームはオンラインで完結することはできます。
ただホームルーム後の生徒同士のやり取りが見れないのはさみしいものです。
あと、ホームルーム後の生徒との清掃活動がないのもさみしいですね。
掃除をしながら生徒と話しをするのってすごく楽しいものです。
授業・学校行事
授業については、私はアクティブラーニングや双方向授業こそが本当の学校教育であると思っていますので、以下のように区分していきます。
一方通行授業
アクティブラーニングや双方向授業、ならびに生きていくためには1つでも多くの知識・教養を得ていることが必要です。
基礎的な学力については、一方通行授業を担当教員が配信して、それを生徒が好きな時間に視聴する。
教員・教師・先生は、各授業内容の定着度を図るために、決められた日時で確認テストを行なう。
確認テストをしたところで、生徒は何かを見ながら回答している可能性があるという声がありますが、何かで調べながら回答するならそれはそれでいい。
物事を暗記して答えるテストなんて古いですし、必要なことは人間の頭でインプットする、あとはコンピュータ媒体に記録しておくでよくないですか?
技術家庭、音楽、保健体育などの実技教科についてもオンラインでの対応は可能であると考えます。
アクティブラーニング・双方向授業
Zoomや日本マイクロソフトSkypeを使うことで、アクティブラーニングや双方向授業は十分に成立可能です。
アクティブラーニングや双方向授業を展開するためには、あらかじめ予習という形で生徒たちに前述の一方通行授業で知識・教養を獲得させておくといいでしょう。
生徒には社会で必要な課題発見力や課題解決力を身につけさせた上で卒業させたいもので、これらの力を身につけるためには幅広い知識・教養があることに越したことはありません。
一方通行授業で学んだ知識・教養で理解できないことがあれば、生徒が自分で調べながら理解する(←ただこれを自分でやる生徒は多くありませんので、能動的に生徒が動くように導くのが教員・教師・先生の役割です)。
この状態でアクティブラーニングや双方向授業を展開すると、内容が充実した授業になりますし、生徒個々人がある程度調べ学習をしてくることで、内容を理解できなかった生徒に対して教えることもできるのです。
テレビ番組でMCが存在するように、教員・教師・先生がMCとなって進行をしていくことが基本となりますので、どのように進行していくか、生徒に何を学ばせるかを考えておく必要があります。
オンラインであってもアクティブラーニングや双方向授業は十分に成立させることは可能であることがお分かりいただけるでしょう。
クラブ活動
クラブ活動は、オンラインでできるもの・そうでないものがあるでしょう。
野球やサッカーのようなチームプレイのスポーツは、オンラインで競技することは不可能です。
しかしチームプレイでも、吹奏楽のような活動はオンラインでも可能であると考えます。
前述のように学校の一方通行授業が生徒の好きな時間に受けられるようになり、アクティブラーニングや双方向授業の時間があらかじめ設定しておけば、従来のように「クラブ活動は放課後」という概念がなくなります。
とくに近年の夏場の気温は命の危険を感じるほどであり、日常でも午前中にクラブ活動ができれば、活動の時間が確保できるでしょう(←ここでは全国大会などの日程の調整等の話しは抜きにします。日程の調整等は学校教育業界が変化すれば変えられるものです)。
クラブ活動に関しては、学校教育の一環として導入している以上、各学校の教員・教師・先生が顧問に就かなければいけませんが、実際の指導に関しては外部コーチを雇用するなど、教員・教師・先生の負担軽減が求められています。
またクラブ活動の活動時間についても、長期休暇期間中ともなれば1日12時間もの活動時間で練習しているところもありますが、部員の集中力は続いているでしょうか。
学習も部活動も「量」より「質」が大切です。
練習時間が長い学校が、必ずしも強豪校といえません。
このようにクラブ活動をオンラインにシフトできる部分はシフトすることも可能であるといえます。
文化祭・体育祭、修学旅行
塾・予備校のような教育施設にはなくて学校にあるもの。
それが文化祭、体育祭、修学旅行といった「行事」です。
生徒は学校行事を通じて、自分たちで考えて、行動して、結果を出していきます。
このように他者と考えたり結果を出すことは、社会に出ても行なわなければならない活動です。
文化祭は、学校行事の中でも「文化祭」はオンライン文化祭を実施している学校もありますし、2020年7月31日から開催予定の第44回全国高校総合文化祭高知大会は、オンラインでの開催が検討されていることから、オンライン文化祭の開催は不可能ではありません。
体育祭は、共同での競技がほとんどですので、オンラインでの実施は難しいでしょう。
修学旅行は、オンライン上で同じ風景を同時に見ながら旅行気分を味わうことはできますが…、こうなると旅行ではありませんよね。
このように学校行事は、オンラインで確立させることは不可能ではありませんが、学校行事から学ぶことができる協調性などが育成できないことを考えると、やはり従来通り学校で活動するほうがいいでしょう。
オンライン中心の学校教育は不可能か?
これまでのことを総合的に考えると、オンライン中心の学校教育は可能です。
生徒はアクティブラーニングや双方向授業、学校行事の準備や本番、クラブ活動をコアタイム(参加義務である時間)とし、あとは自分の好きな時間に一方通行授業を視聴して学習する。
生徒も教員・教師・先生も、これまでのように毎日通学・通勤しなくてよく、自分の時間が増えますので、その時間を有効活用すれば、自分をもっと成長させることが可能です。
しかし国の行動力に加えて、学校教育現場はとくに進展が遅い業界ですので、本来であれば近い未来に実現できるオンライン中心の学校教育も、数十年以上先でないと実現できないことは予想できます。
しかしうまくオンラインを活用することの必要性は、今回の新型コロナウイルスの影響によって十分に理解できたはずです。
いち早く、学校現場でもオンラインの普及を急ぐ必要があるでしょう。
4. 編集後記「私の本音」
前述の内容が現実化していくと、生徒も教員・教師・先生の生活も大きく変化するでしょう。
オンラインの普及は必至ですが、私も昭和の人間ですから、オンライン上でやり取りするより、面と向かって接することが人間にとって最重要であることは間違いないと断言します。
本来の学校の姿
でも本当の学校のあり方って、生徒同士、先生と生徒が毎日会って、毎日たわいもない話しをして、好きな友達と一緒に笑ったりして…、そんな中でも自分と合わない友達といて、その子と接するのか接しないのかを試行錯誤したり、接するとなればどうやって接すればいいのかを考えたりしたりして…、人間関係を構築するところが学校だと思うんですね。
だからこそ、文化祭、体育祭、修学旅行などの学校行事は残したいし大切にしたい。
自分が学生だったときも、学校で習った授業内容はあまり記憶にないけれど、先生や友達と接したことや、学校行事の記憶は比較的鮮明に残っています。
軽減される教員・教師・先生の負担
教員目線からいえば、オンライン教育が実現されれば、これまでの業務負担が格段と減ります。
通勤しなくても自宅でリモート授業をすればいい。
教師はブラックといわれていますし、自分のプライベートの時間、家族との時間は本当にありません。
そもそも通勤時間そのものが無駄な時間だと思いません?
月曜日から土曜日まで勤務しているだけでなく、日曜日はクラブで出勤することも多々あります。
勤務時間も8時間勤務の時間帯が建前で設定されていますが、放課後はクラブや生徒の質問を受けたりと、勤務時間が終わったからといってすぐに自分の時間に入れるわけではありません。
例えば8:30~17:30の9時間の勤務時間の設定で、間に1時間の休み時間を設定している学校もありますが、教員に休み時間などありません。
休み時間中に生徒が質問をしにきたりトラブルを起こせば応対するのが当然です。
休めるわけがないのに9時間の勤務時間を設定している。
17:30で退勤できるかってできませんよ。
学校によっては、教員に「日直」を充てており、20:00から校舎を巡回して異常がないかを確認させている。
もちろん決められた17:30を超えているので、2時間30分は代休や時短という形で調整しているのですが、そもそも法律で決められている1日最大8時間をマックスまで働かせる必要があるでしょうか?
今や公立学校でも警備員がいる時代、校舎の巡回を警備員に委託すれば教員が日直で遅い時間に校舎を巡回する必要なんてないですよね。
化石のように古い体制
会社企業と学校現場を比較すると、学校現場は化石のように古い体制がいまだに続けています。
職員会議
職員会議では、管理職が法人と決めたことを一方的に発信する。
これから学校として決めていかないといけないことを発信し、学校側の「案」を提示するが、それに対して何も言わない教員・教師・先生。
生徒にアクティブラーニングや双方向授業をうたいながら、そんな職員会議をしている学校がいまだにありますし、教員・教師・先生が意見を言ったとしても、それを理不尽に受け入れない学校もありました。
まず法人・管理職が教員・教師・先生の意見を聞き入れないのは論外。
また報告事項だけなら、それこそオンラインで発信すればいいものの、決められた時間に、決められた場所に教職員全員が集まって「会議」という名の集まりを開く。
職員会議以外にも、一般の教員・教師・先生たちが1日3つ以上の会議に参加するという学校もありました。
という学校がまれにあり、中には教職員が管理職や法人に対して強く自分たちの意見を主張することができる学校もあります。
会社企業で全員が決められた時間・場所に集まって会議を開くなんて、よっぽどの重要案件でしかやらないようになっています。
捺印文化
書類の捺印もやめましょう。
報告書でも何でもWordやPDFで送信したものにオンライン捺印でいいんじゃないですか?
いまだに教員・社員にPDFで報告書を送信させておきながら、その報告書をプリントアウトさせて捺印させて提出させているところもあります。
上の方はオンラインで送信されたPDFですら目を通していない可能性が高いのに、紙ベースで提出された報告書を読んでいるのでしょうか?
そもそも提出された膨大な紙ベースの報告書を保管するのは大変じゃないですか?
これらの捺印の文化は古すぎると言うことはこちらでもお伝えしました。
捺印の文化を変えるためには、国会・内閣・裁判所などの行政機関で行なわれている捺印文化変えなければいけません。
もし会社企業や私立学校でトラブルが発生して裁判沙汰になったとき、裁判で必要な書類などの証拠は捺印されているものが信憑性が高くなる、要は責任の所在が分かる書類のほうがいいわけです。
だから私立学校の書類でも、教科主任、部長、教頭、校長、事務長…、みたいに捺印が押されないと完璧な書類にならない。
ハンコは続くよどこまでも~♪という形です。
しかしこのときの責任の所在は誰になるのでしょう?
みんな捺印しているわけですから、みんなが責任を負うのでしょうか?
まさか責任の擦り付け合いをしたり、部下に責任を押し付けたりすることはあり得ません。
こんなハンコ文化辞めたらいいんです。
私はオンラインで仕事をしているときに、契約で捺印などしたことがありません。
そんなことをしなくても業務をやった実績がオンラインで残っているわけですので、捺印をする必要なんてないのです。
こうやって今、私が発信している記事の内容はオンライン上で残るわけですし、どこから発信されたものかもすべて残っているわけですから、わざわざ捺印なんてする必要はない。
でもその記事を誰が書いたのかという問題になりますが、そのときは今どこの会社企業でもやっている、その組織の代表が責任をとればいいのです。
代表が記事を書いたのなら代表の責任、組織の部下が記事を書いたとしてもそれも代表がチェックしているのだから代表の責任。
捺印の効力はそれほど強いものでなくていいのです。
5. まとめ
今回は、アクティブラーニングを含めたオンライン中心の学校教育は不可能かについて考えてみました。
オンライン中心の学校教育は可能であり、実際にオンライン教育を行なっているところが増えています。
オンライン中心の学校教育が展開されれば、これまでの時間の使い方が大きく変化し、有意義に過ごせる時間が増えることは間違いありません。
ただ忘れてはいけないのは、オンラインはあくまでも「手段」であるということ。
オンラインは確かに便利な手段ではありますが、人は直接面と向かって接するからこそ、オンライン上からではうかがえない、相手の表情やしぐさなどを感じとることができ、そこからお互いが深まり合うものです。
オンラインのような「デジタル」が進んでいますが、人間は直接対面する「アナログ」が大切であることを忘れないでほしい。
ですので、学校はこれからも人間同士がじかに接する場として運営していかなければなりません。
生徒が未来社会で活躍できるよう、オンライン・直接対面を相互に活用していきたいものです。
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