マイノリティは弱者ではない!自分の信念を貫くことの大切さ!

志学舎

1. はじめに

あなたは何かに対して、自分の信念をもっていますか??

自分の信念がマイノリティ(少数派)であった場合、周りに合わせて自分の信念を曲げてしまったことはありますか??

今回はマイノリティは弱者ではなく、自分の信念を貫くことの大切さについて考えていきます。

2. マイノリティは弱者ではない

マイノリティとは、日本語では「少数派」を表す言葉です。

どこの国でも同じことが言えますが、少数派は多数派と比べると立場や勢力が弱くなったり、ときには差別の目で見られたり、煙たがられるときがあります。

「社会的弱者」という言葉をご存じですか??

例えば、教育現場で生徒に学習指導するときに「社会的弱者」という言葉が出てきてます。

社会的弱者とは、障がい者、母子家庭、父子家庭、子どもなど、社会的に立場が弱いとされる方のことを指す言葉です。

私は「社会的弱者」の言葉を用いるときに、生徒に「本当にこの社会的弱者と呼ばれる人は“弱者”なのでしょうか?考えてみてください」と問いかけます。

障がい者は、ハンディキャップをもちながら健常者と同じようにものごとをこなしていますし、そもそも障がい者の「がい」を「害」の字をあてていること自体が差別視していると思いませんか。

母子家庭・父子家庭で育った子どもは、両親がいる家庭では経験できない生き方や考え方をもっているため、しっかり地に足をつけて生きている人が多いです。

子どもは、自分なりにさまざまな視点をもって、大人がもつことのできない視点をもって物事を分析することができます。

人それぞれ、自分の立場があるわけですが、マイノリティを差別視したり、偏見の目で見ている人の方が、よっぽど人としての器が小さいですし、そのようなことをする人はマイノリティになったことがないのでしょう。

社会的弱者のほうが、よっぽど強い心をもって生きています。

その人の立場になれない人ほど、残念な人はいません。

私も学生時代にいじめの対象に

私は中学生のときに約3ヶ月程、いじめの対象になったことがあります。

あるボス的な存在のA君が、クラス中の人たちや違うクラスの人に、私のことを無視しろと言っていたようです。

私はそのいじめのことに気づいていましたし、無視されたところでまったく動じなかったのですが、A君からするとその態度が腹が立ったのでしょう。

ある日、私は昔では定番のトイレに呼び出されたのでそこへ出向くと、男子が5~6人立っていて、その真ん中にA君がいました。

そして突然、額を床につけて私に土下座を要求してきたのです。

もちろん、私は意味の分からない土下座をすることもなく、そのまま数分経過すると、授業開始のチャイムが鳴り、男子は自分のクラスに帰っていきました。

その日を基に、私に対するいじめはなくなりました。

あくる日からは、別の人へといじめのターゲットを変えていたのです。

A君が私をいじめてきた理由は、現在でも覚えています。

私がA君のいじめ行為に関して、一切相手にしなかったこと、何をされても動じなかったこと、やるなら1対1で話しをしろと思っていたことも記憶しています。

このときも私は「いじめられる人=マイノリティ」の気持ちを身体で感じることができました。

3. マイノリティは煙たがられる??

私は、温かい家庭で育ったわけではないので、高校生のときから親元を離れて生きてきました。

大人の世界といえばいいのでしょうか、大人の汚い世界もたくさん目の当たりにしてきました。

ただその環境の中で生きてきたからこそ、自分で地に足つけて、しっかりと生きていかないといけないという気持ちがより一層強くなり、自分の信念を強く持ち始めるようになります。

教育改革・革命の実践でお話ししたように、教育現場に、生徒の役に立つ新しいことをどんどん発信していくようになりましたが、新しいことをやると必ず私のことを煙たがる人がいるのです。

その人に合わせるように、私のことを煙たがる先生もいらっしゃいました。

しかし中学時代にいじめられたときと同様に、私は動じることはありませんでした。

自分のやっていることに自信をもっていますし、私がやろうとしていることは必ず生徒の役に立つという信念をもっていますから。

この記事を読んでいるあなたも、新しいことをやろうとしている人=マイノリティですので、相当煙たがられるという覚悟はお持ちになったほうがいいでしょう。

そこであなたがやってはいけないのは、周囲に流される、自分の信念を曲げるということです。

自分の信念を曲げると、そのあとにやってくるのは後悔しかありません。

周囲を納得できる根拠をしっかりもって、自分の信念を貫いてください。

4. まとめ

今回はマイノリティは弱者ではなく、自分の信念を貫くことの大切さについて考えていきました。

マイノリティは、決して弱者ではなく、むしろ強者といってもいいでしょう。

これから新しいことをやろうとしているあなたは、マイノリティになるわけですが、やはり現場では煙たがられることになります。

煙たがられるのが苦痛なのであれば、新しいことはしないことです。

私は煙たがられること万歳です。

私が煙たがられた結果、世のため人のためになるのでしたら、痛くもかゆくもありません。

あなたがもっている大切な信念、ぜひ貫いてください。

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