1. はじめに
昨今では、教員・教師が生徒に対する体罰・暴力については厳しい批判を受けています。
教員・教師、生徒という立場に関係なく、人として暴力は許されないことですが、時と場合により人は暴力行為に及ぶことがあります。
今回は教育現場で起きている暴力について考えてみましょう。
2. 教育現場での体罰・暴力の事例
東京都町田市の都立町田総合高校で、生活指導担当の50代の男性教諭が、高校1年の男子生徒(16)の顔を殴るなどの体罰を加えていたことが18日、東京都教育委員会への取材で分かりました。
報道でも体罰の様子は公開されていますが、暴行の現場を他の生徒が撮影し、生徒はYouTubeやTwitterで拡散。
生徒が教諭に「ツイッターで炎上させるぞ」「小さい脳みそでよく考えろ」などの暴言を浴びせた音声も残っており、その後に教諭が暴行した模様です。
撮影した生徒の名前、教諭に暴言を浴びせた生徒の名前と思われる個人名もTwitterに載せられています。
東京都教育委員会は教諭の処分を検討しているようです。
そもそも事の発端は、生徒が校則違反であるピアスを注意されたことから始まりました。
その後、以下のようなやり取りが廊下で行なわれました(出典;tokyomx)。
生徒の態度の悪さに、教諭は生徒に右ストレートを加えた後、引きずり回す事態へと発展したのです。
人は感情をもっている動物ですので、ときには感情が高ぶったり、怒りがこみあげてくるときがあるでしょう。
第三者のことを殴りたくなるほど、イライラしてしまうときもあります。
しかし暴力は絶対にいけません。
暴力といっても2種類に分類されます。
肉体的暴力
1つ目が「肉体的暴力」で、相手を殴る・蹴るなどして暴力を加えることです。
社会で肉体的暴力は「暴行罪」「傷害罪」などの適用があるように、刑罰を受ける場合もあり、今回の先生の体罰は、肉体的暴力にあたります。
「体罰」と聞いたときにイメージするのは、肉体的暴力でしょう。
言葉の暴力
2つ目が「言葉の暴力」で、相手に対する暴言のことをいいます。
先ほどの写真でいうと、生徒が先生に浴びせていた言葉のことをさします。
言葉の暴力も、傷害罪、侮辱罪、名誉棄損罪などが成立する場合もあるのです。
言葉の暴力は肉体的苦痛ではなく、精神的苦痛を負います。
3. なぜ人は暴力をふるうのか??
先ほどお伝えしたように、どんな状況であっても第三者に暴力をふるうことは許されません。
人が暴力に及ぶ理由として考えられるのは、以下の3つです。
第三者にイライラさせられて、自分の感情がおさえられなかった
自分で自分の感情をコントロールできない場合、人は暴力に及ぶ傾向にあります。
第三者に何かされたり、言われたりしたときに、怒りの感情がおさえきれず、暴力に出てしまったという例もあるのです。
自分と第三者の意見・考えが合わない
人は無意識のうちに自己中心的な考え方をもっているものです。
人によっては、第三者の考えに耳を傾けることができず、暴力に及ぶケースがあります。
世界で行なわれている戦争・紛争には、このケースで両者が対立し、暴力に及んでいるのです。
自分の言っていることが第三者に伝わらなかった
自分の言っていることが第三者に伝わらないとき、人は暴力をふるって自分の言っていることを理解させようとします。
DV(ドメスティック・バイオレンス)や、パワーハラスメントは、このようなことを背景に起こっているといえるのです。
4. 暴力に出ないための対処法
人の暴力は、感情が関係している以上、感情をコントロールしなければなくすことはできません。
私も人間ですので感情をもっていますが、人に暴力をふるおうとは思いません。
それは教育現場に立っているからというわけではなく、自分で自分をコントロールしているからです。
暴力をふるっても解決にいたることはない
私は心の中で「暴力をふるっても解決にいたることはない」と常々思っています。
今回事例に挙げた東京都町田総合高校の事件もそうですが、生徒は先生を挑発したことにより暴力事件が起きました。
先生は感情が高ぶった結果、暴力行為に及んだようですが、挑発してきた生徒を殴りつけて何が解決するのでしょうか??
自分の感情がおさまる、またはすっきりするだけでにしか思えません。
しかもすっきりするどころか、先生はおそらく「やってしまった…」という後悔の気持ちのほうが大きいでしょう。
しかも殴られた生徒は、殴られたことでおそらく何の成長もしていないはずです。
今回の事件に関しては、さまざまな見解がありますが、事件の一連の動画をみていると、生徒の挑発行為がなければ先生は暴力行為に及ばなかったという見方もされています。
暴力をふるったところで、お互い何のメリットもないと考えることができれば、暴力行為に出ないでしょう。
人は百年かかっても育たない
最近の教育現場では、さまざまな環境で育った生徒がいる分、生徒の個性もさまざまです。
言うことを聞かない生徒、言っていることすら聞かない生徒…、実際に教育現場ではストレスをかかえている先生はたくさんいます。
私も複数の学校に勤務してきたことから、そのような生徒とも多く関わってきました。
しかし私は、言うことを聞かない生徒、言っていることすら聞かない生徒がたくさんいる学校であるほどやりがいを感じます。
「そんな生徒がいる学校に勤めていると大変でしょ??」とよく言われてましたが、その質問に対して「??何が大変なのですか??」と聞き返してしまいます。
「生徒たち、言うこと聞かないでしょ…??」と返されますが、もともと私は生徒に言うことを聞かせようなんて思っていませんし、言うことを聞かせる教育なんてあるのか?と疑問に感じるのです。
私は、人は百年かかっても育たないと思っています。
社会人だって生きていながらミスをすることがありますし、社会人こそ失敗して、学習して、成長しての繰り返しですよね??
人は死ぬまで成長し続け、育ち続ける動物なのに、生徒に言うことを聞かしながら成長させるなど、それは教育とはいいません。
人の中で完璧な人はいないわけで、先生だって完璧な人はいません。
完璧でない先生が、生徒より少し長く生きている中で、教え伝えるべきことはあるとしても、それを「聞かせる」なんてことはしてはいけないわけです。
生徒への教育は長い目でみる必要がありますし、先生も生徒と一緒に育つ「共育」(きょういく)というスタイルも大切でしょう。
ましてや暴力で生徒を教育するなんて論外で、生徒に何をされたとしても自分の感情すらコントロールできない先生は、教育現場から外れるべきです。
長い目線で人を育てることを念頭におけば、暴力行為には出ないはずです。
傷ついた第三者を想定する
肉体的暴力にしても言葉の暴力にしても、その行為に及ぶ前に一度立ち止まって、「自分が暴力行為に及んだら、第三者はどうなるのか・どれほど傷つくのか」と考えられるのが、本当の「人」でしょう。
暴力行為に及んでから「やってしまった…」では既成事実がありますので手遅れなのです。
DVをする人の特徴としても挙げられますが、暴力行為に及んだあと、傷ついた相手をみて急に優しくする。
暴力を受けた人は「やっぱりこの人は優しい人なんだ」と勘違いして、後日また暴力を受ける。
この繰り返しです。
傷ついた第三者のことを考えられる人であれば、暴力行為には及ばないはずなのです。
一度立ち止まれることで、暴力行為は減少するのではないでしょうか。
5. まとめ
今回は教育現場で起きている暴力について考えてみました。
日常生活の暴力行為を減らすためには、当事者同士が感情的にならず、真正面から向かって話しをすることです。
話し合いはすぐに解決するわけではありませんので、長い時間をかけてお互いに向き合う必要があります。
暴力行為は刑罰の対象になる場合がありますが、教育現場は警察等が介入するのはあまり好まれておりません。
しかし状況によっては、法に照らし合わせて警察等の介入が必要になる場合も視野に入れる必要があることも頭の片隅に置いておく必要があることも知っていおいてください。
教育現場に携わっている方、会社企業で人材育成を担当されている方は、人はすぐに育つわけではないということを忘れないようにしましょう。
暴力に出ないための対処法についてもお話ししましたので、参考になさってもらえれば幸いです。
コメント